夕陽の旗
「――誰だッ!?」
咄嗟に剣を抜いたインディゴが、それを構えてテントに視線を走らせる。
だが――誰もいない。テントの中にいるのは三人だけで、外から僅かなざわめきが聞こえてくるだけだtった。野営をする兵士達の声、そして遠くに聞こえるかすかな虫の音――。
咄嗟にアガトを庇うように立ったブラックも、声の主の居場所を掴みあぐねていた。自分を庇うような真似をしたブラックに咎めるような視線がアガトから向けられているのはこの際無視し、ブラックは意識を集中させる。
――いる。確実に――この中に。
その夕陽色の瞳を鋭く細め、ブラックはゆっくりとテントの中を見回した。言葉を次げない相手からは、まるでこちらの出方をうかがって楽しんでいるような空気すら感じられる。
僅かな糸口を探り、ブラックはテントの中央にある、地図を広げた机の上へ視線を定めた。
「――アタリ。いい鼻してんな、お前」
ああ、この場合は目か?
と、とぼけたような声がして、テントの中央に赤い炎が灯った。
空中でぶわりとその炎が燃え上がると、次の瞬間、机の上に奇妙な出で立ちの男が現れる。重そうなブーツがごとりと音を立て机を揺らし、テントの中を照らす灯も頼りなく揺れた。
姿を現したのは、厚手のコートを着込んだ――ガスマスクの男。
その異様さに戸惑ったのか、インディゴとアガトは僅かに身体を強張らせる。
「悪いね、邪魔するぜ」
男が机の上からひょいと飛び降りると、ブーツの重みを受けるように地面が鈍い音を立てた。
無骨なマスクの下から聞こえてくるのは、くぐもってはいるが、ブラックとそう変わらない年頃の少年の声のようだ。今にも飛びかかりそうなインディゴを視線で制し、ブラックは一歩前に出る。
その現れ方から察するに、やはりこの男は人あらざるものの可能性が高い。こんな場所で魔族相手に立ち回りをするのは懸命ではないと感じたブラックは、武器を取ることなくマスクの男と対峙した。
「何用だ」
「そうキリキリすんなよ。騒ぎは勘弁してもらいたいってのは俺も一緒だし」
ひらりと両腕を広げて敵意が無いことをアピールする男に、インディゴが僅かに剣の切っ先を下げた。
インディゴ自身、この男相手に立ちまわることの危険さを感じているのだろう。人間ではないものに対する得体の知れなさ、気味の悪さのようなものが男にはあった。
「上からの命令でな。……っと、さっさと見てもらった方が早いか」
男が懐に無造作に手を入れると、ブラックの後ろに立っていたアガトが警戒を強めた。だが男の敵意のなさが偽りではないように感じたブラックは、それ以上構えることなく、男が取り出したものへと視線を向けた。
男が取り出したのは丸められた書状だった。赤い紐でくくられているそれには皺ひとつない。何らかの保存魔法がかけられているのだろう。
ミトンのような手袋をつけた手で器用に紐を解くと、男はその書状をブラックに向けて広げた。
「実は今回、テメーらの国の連中にのさばられてると魔族側にも支障が出るってことでね。
人間同士の戦争に魔族が大々的にしゃしゃり出るのは体面も悪いんで、内々に魔族側がお前らに力を貸したいってことになった」
「魔族が!?」
驚きの声を上げるインディゴと、思わず息を飲むアガト。
ブラックはただ、ガスマスクの奥の男の顔を見透かすように、真正面から彼を見つめ続けていた。
指先でつまんだ羊皮紙をぞんざいに揺らしながら、男もまたブラックを見つめ返す。だがその表情はマスクに覆われていて、何を思っているのかを探ることはできない。
「どー支障が出るのかってのは聞くなよ。俺も下っ端だからそこんとこは明るくねえの。
で、これがその旨を革命軍の頭に伝える書状ってわけ。
差出人は俺の上司――魂の火を集める悪魔、幽玄紳士ヴィルヘルム卿からのお達しだ」
――なんて言われても、人間にはピンとこねー名前だろうけどな。
そう小さな声でつけたすと、マスクの男はブラックの目の前に無造作に書状を差し出した。アガトの躊躇いを背中で感じながらも、ブラックは男に近づき、その書状を手に取る。
手袋越しに僅かにかかるざらりとした感触、羊皮紙を綴られた文字は随分と整っていて、これを書いたヴィルヘルムという人物の几帳面さを感じることができた。
男が口にした言葉は随分と砕けていたが、書状に記された提案と男の言葉は確かにそう差はない。
ブラックは一度書状に目を通すと、相手からの提案を確かめた。
「つまり……これを僕らが受けた場合、君が僕らの軍に加わる、ということか」
「……そういうこと。で、どうするよ? 一晩くらいは待ってやっても――」
「受けよう。断る理由は無い」
「お、」
「ブラック!?」
「おい、そんな簡単に――」
言いかけた男の言葉をさえぎるように、ブラックはあっさりと了承の言葉を口にした。
話が早いと思ったのか、僅かに喜色を感じさせる声をあげた男とは反対に、まだ状況を掴みあぐねているアガトとインディゴが声を荒げる。そんな簡単に決められることではない。なにせ相手は魔族だ。
だが、言いかけたインディゴの言葉を更に遮る形で、ブラックはきっぱりと言い放った。
「ただし受けるには条件がある。
それが飲めないというならこの件は破談だ。あらかじめ言っておくが、僕は何も譲らない」
「……へえ? なんだよ、言ってみな」
「君にはこの軍に「人間」として入ってもらう」
「……あぁ?」
それまで飄々とした様子だった男の空気が、変わった。
ぴり、と肌を刺すような圧迫感にアガトとインディゴは動けなくなる。押しつぶされる、と感じるほどのプレッシャー。やはり相手は魔族なのだと――否応なしに思い知らされた。
だが、男からの圧力をものともせずに、ブラックは平然と男と向き合っている。顔色一つ変えない少年と、滲み出る怒気を隠さない魔族――テントの中にじとりとした緊張感が漂った。
「先程見せたような力の使い方は許可しない。魔族を名乗ることなく、人間として行動するならば僕らの仲間に加わることを認めよう。君には僕らのやり方に合わせてもらう」
「……なめてんのか、テメエ」
「それはこちらの台詞だ」
マスク越し感じる鋭い殺気。男の刺すような敵意を受け止めながら、ブラックもその瞳を険しくさせて男を睨みつけた。これまで完全に押し隠していた怒りを、ブラックは突然あらわにしたのである。
はじめからブラックは男に対して憤りを感じていた。手を貸してやるから感謝しろと言わんばかりのその態度は――そう、ブラックが信じる仲間達に対する、とんだ侮辱だったのだ。
「僕らは魔族の助力が無ければ革命を成し遂げられない――とでも思っているのか? 見くびるなよ」
平静だった少年の表情が静かな怒りに満ちるのを見て、男は僅かに驚いたようだった。
前に出かけていた姿勢を正し、ひたとブラックを見つめる。相変わらずマスクに隠された表情からは男の感情を読むことは難しかったが、先程までの殺気が嘘のように消えていた。
相手が感情を切り替えたことを察したのか、ブラックもあからさまに見せていた怒りを引っ込め、さらに言葉を続ける。
「君らの力がどうしても必要だ、手を貸してくれ。そんなことを言うほど僕ら人間は弱くない。
魔族が必要とされないこの場にどうしても潜り込みたいのなら、君が僕らに合わせるんだ」
男は何も言わなかった。しんと静まりかえるテントの中で、橙色のマスクのレンズと、夕陽色のブラックの瞳が見つめあう。それは睨みあいの類ではなかった。
一方、二人の対峙を半ば蚊帳の外で眺めていたアガトとインディゴは、ブラックが革命軍のリーダーたる由縁を感じていた。奮う剣の強さもあるが、誰もがブラックの――その心の強さに惹かれたのだ。
この革命を率いるのは彼でなくてはならない。それを改めて胸に刻む。
魔族という未知を目の前にしても、人間としての誇りを折れることなく掲げる彼だからこそ、この革命は起きようとしているのだ。
「……チッ」
僅かにだが聞こえた舌打ちの音は、確かにマスクの内側から聞こえてきたものだった。
「……わかったよ。
元々、返答がどうあれ無理にでも潜り込んで来いって言われてたからな。
めんどくせえ潜入任務につくよりは、おおっぴらに入りこんだ方が楽だろうし……」
男はがりがりと頭を掻いた。随分と雑にかぶったフードから、僅かに零れた白い髪。ブラックの持つ白髪よりはくすんだ色のそれが、フードを引いた男の手によって灯りの前に晒された。
それが彼なりの譲歩のようだ。マスクには手をかけず、男はブラックに顔を向ける。
「交渉成立だ。俺は人間としててめえらの軍に入る。
つっても、今更人間らしく――ってのがうまくできるかは保証できねえけどな」
「僕らの中にもある程度魔法を使える兵はいる。それを踏まえて魔族と知られないように過ごしてくれればそれでいい。戦いの場に置いて、本領を発揮するなとは言えないしな」
「そりゃありがてえ」
暗に戦いの中では力を使うことが許可されたと理解した男が、マスクの中で笑う気配がした。
「僕の名はブラック。……君の名前は?」
「ああ、俺は――」
差し出された右手にふと言葉を止めて、男はまじまじとブラックを見つめるような仕草を見せた。
魔族相手に手を差し出してきた相手が物珍しかったのだろう。マスクのレンズにじろじろと眺めまわされて、ブラックは居心地悪そうに男の向こう側に立つインディゴへと視線をそらした。
先程まで魔族の男と気丈に対峙していたブラックがまるで子供のようにこちらを見てくるものだから、インディゴは先程の緊張も忘れて思わず笑ってしまう。
「ああ、悪ィな……俺はジャック。ジャックだ」
「そうか。よろしく頼む、ジャック」
真面目な顔で頷いてジャックが握り返した手を握ったブラックに、マスクの内側でもう一度、笑うような音が聞こえた。
2013.01.02