2style.net


愛綺譚

第五話―警鐘―








コの字型に造られた屋敷を三つに分けた内の、中心に位置する本館部分の中を達は外へ出ることができるドアなり窓なりを探すことになった。屋敷の中から森とは逆方向を向いたときに本館から繋がって右側にある建物が便宜上新館と呼ぶことにした増築された部分で、逆に左側にある建物はこれも便宜上ではあるが跡部は屋敷の図を書いた紙に別館と名前をつけた。新館を達、別館を達が担当することになったのだが、樺地と幸村と跡部はライフラインの確認をすることにした。ライフラインとはいえ屋敷は広く、何が起こるのか分からない状態であるからキッチンと風呂場程度の簡単な確認になってしまう。従って跡部達はこの事態を引き起こした原因を知らず知らず探し始めていた。―あの少女を知る手がかりになる、何かを。
本館の丁度左端に位置する食堂の裏側にキッチンはあった。広い厨房は、当たり前だが長年使われた気配がなく、業者が掃除をしたにも関わらず薄汚れて見えた。調理器具はどうやら全て新品を揃えさせたらしく、三台だけステンレス製になっている調理台の棚の中に仕舞われていた。刃物の数を確認しようと棚を開けた幸村は、跡部から何とはなしにそのことを聞いて、やっぱり跡部は金の使い方に気合が入っていないと納得してしまった。要するに、彼は金に執着しないのだろう。金が無くなることは考えたことも無いというような豊かさが全身から滲み出ている。それに伴って跡部には気品やら優雅さやら、貴族的なものがほぼ備わっていた。
ふと思ったことを聞いてみると、跡部は冷蔵庫の中を見ながら答えた。
「どうして全部取り替えなかったんだ?いっそ、一度に代えれば良かったじゃないか?」
「親父があんまり弄るなって言ってたからな。死んだ爺さんがずっとそう言ってたらしい。」
「随分、跡部の家にとって大切みたいだな、ここは。」
「いや…親父と爺さんが触るなと言ったのは多分、得体の知れない屋敷だからじゃねえのか。」
バタンと音をたてて冷蔵庫のドアを閉め、跡部は樺地と一緒に幸村が居る調理台の方へ足を進める。
「大体、古い財産は何年か前に全て所在を明らかにしたんだぜ?リストまで作って、今は警備会社が管理してる。それがここは…、」
ふもとへ通ずる道を窓ガラスの向こうに見遣り、跡部は隣の勝手口のドアを手前に引き、動かないことが分かると逆に押してみる。だがドアは開かなかった。
「ここも開かないか…。」
もう諦めるしかないのかと気落ちする心を、跡部は頭を振って無理にでも引き上げようとした。ここで立ち往生している暇は無いのだ。何一つ分からない状況で立ち尽くしていられる程、楽観できる事態ではない。
「…なあ、跡部。」
「何だ?」
ドアから自分を呼んだ幸村を見る。丁度、食堂から森側にあるテラスへのガラス張りのドアを確認した樺地が戻ってきたところだった。
「一つ、思い出したんだが…」
幸村の顔は青ざめていた。
「何故、俺たちの部屋の窓は開いたんだ?が、あの子供のことを言いに来たときに、俺たちの部屋の窓は確かに、開いたじゃないか?」
それは、と言いかけて跡部はそれを飲み込んだ。部屋に戻らずにはいられないとばかりに、幸村と樺地に部屋へ戻ろうと言い、跡部は食堂を足早に出た。後からついてくる幸村も樺地も今にも走り出さんばかりに早足で歩いている。
幸村は確かに窓を開けた。あれだけショックなものを見たのだからそれは覚えている。では何故、あの窓だけが?同じ疑問ばかりが頭を占め、跡部は階段を登る足に更に力を入れた。
部屋に着いてみると、ドアを開けるのが躊躇われた。このドアを開ければどうなるのかという恐怖のような、嫌な気分が充満する。
「…チッ。」
舌打ちと同時にドアを開け、幸村が開けたドアを見ると、閉められた状態でそのままでは他の窓と同じに見える。
すぐさま手をかけ引き上げ式の窓を上へ押し上げてみる。
「…跡部、この屋敷に何があったか、本当に知らないのか。」
知る訳が無いと知りつつ幸村は聞いたのだろう。そう聞かずにはいられない状況だった。
「知らねえ。」
乱暴に、閉じたままの窓を拳で叩き、跡部は他の窓も全て上に引き上げようとした。だが釘でしっかりと打たれた窓は動かず、跡部達を嘲笑うようにシンとしている。
「ガラスは割れないのか?」
「やってみろよ。」
傍の棚の上にあった燭台の底で幸村はガラスを思いっきり殴ってみたが、ヒビも入らない。逆に燭台の底が欠け、中からボロボロと腐った金属が落ちてきた。
ふと、樺地はそれを見て宍戸が花瓶を投げつけたときのことを思い出した。確かあの少女は、自分が怒られてしまうと言っていた。一体誰に、怒られるというのだろう。彼女以外にも、ああいう幽霊のようなものがこの屋敷にはいるのだろうか。今ガラスに当たって崩れた燭台は古いものに違いない。幸村の力が強かったのか燭台が脆かったのか、それは分からないが足元に転がった底を拾ってみると裏側に英語で文字が掘ってある。埃で汚れた部分を指で拭うと何かしら文字が彫られていた。明治の時代に外国から買われた品だろう。文字は燭台を作った会社の名前か何かに違いない。
樺地は底を棚の上に置いて、窓から外を見た。森の中に広がる惨劇は、上からは確認できない。美しい深緑の葉に覆われた森は空の青さと対照的で、森を囲う壁がまるで監獄の檻のように見て取れた。
あの少女はいつからここにいるのだろう。跡部がここを訪れたときには現れなかったようだから、その後この屋敷に入り込んだのだろうか。いや、あの少女が人間でないとするなら、ひょっとして跡部がここを訪れるずっと前からここに棲んでいたのかもしれない。じゃあ何故、この屋敷に?
幽霊がその土地に縛られるという話は樺地も聞いたことがあった。その場所で何かが起こり、因縁が深すぎて離れられないのが理由だとも。この屋敷は古い。そんな類の話があっても可笑しくはなかった。ただ問題なのは恐らく、跡部の父親も祖父も、この屋敷に関しては何も知らないということだ。原因を突き止めるのは困難だろう。
「…クソッ!」
跡部の悪態で我に返った樺地は、こんなに焦りを表に出す跡部を見るのは初めてかもしれない、と跡部の額に浮かぶ汗を見て思った。普段の生活ではありえない状況にいるということもさながら、跡部の焦りはどこか尋常でない気がする。
それでも樺地は、もうこの部屋は探すのを止めてまたライフラインの確認に戻ろうと言った跡部の後ろからついて歩く内に、そのことは忘れてしまった。自分が不安だった所為だ。屋敷の中を森の中で迷う小さな鳥のようにくまなく見て回ることは、あの少女に出会うかもしれないという危険性を帯びていた。それが、樺地に大きな不安を抱かせたのだ。
そして案の定、あの少女は現れた。樺地たちが洗面台や風呂場を見ているとき、鏡にあの少女の顔が映ったのだ。叫んだのは、幸村でも樺地でも、跡部でもなく。その、青白い顔で狂ったように笑う、あの少女だった。段々と顔から笑みが消え、笑う声がすすり泣きに変わり、そして最後に狂ったような叫びが風呂場中に響き渡る。
樺地はその声を聞いて、耳を塞いで崩れるようにうずくまった跡部を見て後悔した。―彼が焦ったように見えていたのは、体調の悪さを誤魔化そうとしていることの表れだったのだと。担ぎ上げた跡部の体は熱く、顔色は真っ青だった。そしてあの少女の声。その声に押されて逃げるように樺地は風呂場を出て部屋へと走った。後ろで幸村が勢い良くドアを閉める音が聞こえる。その向こう側ではまだ、あの声が響いている。不気味だ。身体の芯を凍らせるように奇妙に震えるその声。脳髄を揺るがすように高い、女の声。
樺地はその場から跡部を抱えて逃げることしかできなかった。

















アトガキ
…Ω\ζ°)チーンもうちわけない…。二年半ぶり…。


2008/08/03